代替医療が広まった理由
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代替医療とは

代替医療とは、「通常医療の代わりに用いられる医療」という意味で、一つの病気を治すために従来の薬物療法などに限らず、栄養療法、カウンセリング(精神療法)、理学療法など、今までの治療に替わる方法を用いて積極的に病気を治す方法を言います。最先端の医学的治療法も、通常医学の代わりとしては、代替療法に入ってしまうかもしれませんが、普通はそのようには取り扱いません。

A.伝統医療

漢方、鍼灸、気功、ヨガなど

B.栄養・食事・自然療法

健康食品、食事療法、絶食療法、ハーブ療法、養生法、アロマテラピーなど

C.加圧・ボディワーク・運動療法

指圧、整体、太極拳、カイロプラクティックなど

D.心理・趣味・環境療法

音楽療法、催眠療法、カウンセリング、イメージ療法、笑い療法、現実療法など

E.その他

スピリチャアル・ヒーリング、神癒、いろいろな学び、などあります。

薬剤への恐れ

薬によって症状を改善しようとすると副作用がでることがあります。例えば、降圧剤の中に自律神経に働きかけて血圧を下げる種類のものがありますが、それを服用することによって自律神経の調子に歪みが起こることもあるわけです。

そのような恐れが、代替療法へと人々を向わせるのは現実でしょう。アメリカでは、1990年の時点で代替医療の受診数は西洋医学の受診数を超えており、その後更にその差は開いていると報告されています。一般的には、代替医療の利用者は教養のない人々であろうと考えられていたそうですが、実際には教育水準の高い人々に多く支持されていると、ウィキペディアにありました。代替医療については保険が適用されないのに、人々は健康へのリスクが少ないと思われる代替医療を支持しているという驚くべき結果が出ているのです。

病名をつけなければ保険は利かない

日本の保健医療制度の下では、病名が付けなければ、医師は保険診療をすることができません。そして、一度病名が付けられると、病名が一人歩きして、その病名に基づく治療や投薬がされます。慢性疲労症候群、肥満症、高血圧症、アレルギー症候群などいう病名がありますが、現れる症状が同じでも原因が違うことがあり、治療法を間違ってしまう場合もあります。

未病というのは、今は病気ではないけれど、このまま何もしなければ確実に病気に向かっていく状態を言い、そのような状態を把握して病気の発症を予防していく新しい立場をいう言葉です。日本では、保険医療が進み、また支配しているため、病名がないと治療できず、ともかく病名を付けて治療を進めていくのですが、その病名が適切ではなく、また全体を把握していない場合が多いのです。

保険制度の財政破綻

財政的な保健医療制度の破綻により、日本が誇る高度医療も充分には施されないような規制がついてきました。代替医療が認められるようになってきたのも、これらの高度(高価)医療に比べて経済的な効率が良いからです。

 

保険診療を行うとレセプトというものを保険支払い基金に申請しますが、審査委員が判断して適正と認めないと、保険部分(殆どが7割)が振り込まれないので医療機関は損をします。後で患者さんからもらうということはできません。

 

身体に害のない血液検査だけによる病気の診断というのは普通の医療機関で行うことは少ないと思われます。レントゲンとかCTスキャンとかMRIというものは高価ですが、それを用いるとその点数の保険診療費用は支払われます。実際は血液検査だけでも注意深く診断すれば、殆どの病気は解明できますが、それは医師の能力と献身によります。注意深く診察するとか、医師の能力や技術というのは、保険診療制度では収入には結びつかないのです。

 

実際に、当クリニックでは他の医療機関で判明しなかった多くの病気と原因を見出し、更に治癒しています。他では治らなかった数百人という患者さんが、私共のクリニックに来て、直っているのです。しかし、保険診療は審査委員の知識と経験が観点ですから、そういう治癒したということは、顧みられず、「なぜこういう検査をしたのか。必要ない。」と一方的に否定されてしまうのです。それでも、医師の誠意としては、患者さんの負担を減らすために、自費ではなく保険でやりたいので保険を申請しては否定されて損をしてしまうのです。

混合診療の否定

それでは、この検査は保険で、理解されない検査は自費で、と考えるかもしれませんが、これを混合診療といって、現在の保険制度では認められないのです。抗癌剤も、新薬で保険適用が認められていないものを使うと全てが保険診療できなくなるはずですが、実際にはそうでもないようです。差額ベッド代というのも殆ど正当なものではありませんので、混合診療になりますが、いつのまにか支払わされています。

 

私共の分子整合栄養医学は殆ど知られていないので、応用して診療を始めようとする医療機関は、すべて自費診療になってしまう場合が多いのです。つまり、保険審査委員の許可をもらって診療することを実行すると、実際には不許可になって保険診療部分が振り込まれず、大損になってしまうからです。

 

現在の保険診療制度は、ある疾患についてはこの程度までの検査や治療しか認めないという明確な枠組みがあります。慢性疾患などの場合には、一般的に治らないとされているので、「費用がかさむ検査や治療はするな!」ということで、患者に対して何もせず、長期入院をさせない病院が経済的になりたつことになります。

 

医療機関としては、保険診療をしなければなりたたず、積極的に治療しようにも混合診療が禁じられているので、同意のもとで自費で治療することもできないように縛られているのです。審査委員も医師ですから、本当はそういう指導は嫌だと思いますが、保険支払い基金から雇われている身ですから、そのようにするしかないのでしょう。

精神病治療の限界

特に精神疾患は、現代医学のアキレス腱です。患者数は増大する一方ですが、殆どの精神疾患の診断は、他の医科と異なり、検査によるデータがなく、医師の所見(主観)によってなされているのです。血液検査や脳波形といった数値でわかる生化学的・病理学的な数値としての決定的な証拠がないのです。精神というものを唯物論的に科学的な検証可能なものとして捉えることはできないのです。

 

また、そのような検査データに基づかない精神科の診断が、本来は内科などの医科に関わる患者さんをも、精神科の治療に関わらせてしまっているのです。極端な言い方をすれば、青春期の悩み、失敗によるウツ、無理解による興奮、カフェイン摂取による不眠、栄養不足や摂食障害による感情の変動、不眠や病気による頭重・頭痛などは誰にでもありうるのです。

 

その顕著な例が、ADHD(注意欠陥多動性障害)の病名です。この診断は次のようにされるようです。識別する力が健常の子供よりも早く尽きてしまい、無視するべき刺激にすぐ反応し、新しいものや面白そうなものに見境なく飛びついてしまう時があります。正常な子供はおもちゃを観察したり意見を述べたりしながら一つのおもちゃで長く遊ぶが、ADHDを持つ子供はすぐに他のおもちゃを手に取る傾向があるのです。成人においては、時間が守れない、物の整理や情報の管理ができない、大切なことを忘れる、見通しをつけるのが苦手で、衝動的に行動してしまう、注意力を持続することができない等、日常生活をきちんとこなす能力に欠陥が現れるとされます。先延ばしも問題になる場合が多く、本人が努力しようとしている場合でも、人と同じように行動できないことが多く、周囲の理解や本人自身の理解もないことが原因で、劣等感からうつ病や不安障害などの二次障害を生じる危険性が高いと言われます。

 

精神科医を否定したり、非難したりする意図はなく、多くの精神科医が誠実かつ正当な医療診断をしておられますが、数多く来る患者さんとその家族は、原因分析的な回答を求める人が多く、そのような病名がつくことで納得するのです。変だと思われるでしょうが、実は自分の不可解な言動や体調について、診断をされて病名がつくと安心される患者さんや家族は多いのです。上記のADHDの説明では、ある程度誰にもありうることとですから読みながら「自分もADHDなのか?」と考えてしまった方も多いと思います。

 

日本社会では、異常行動や精神病は非常に嫌がられ、親の責任などを問われます。ですから、誰かの責任が問われるような病名を嫌がるのです。そういう面で、精神疾患や異常行動は、精神科医としても治癒が難しいので、当人たちの責任がないと思われる病名をつけることがあるかもしれません。ADHDとかPTSD(心的外傷後ストレス障害)などというアルファベットの病名は、そのような経緯から付いた病名と言えるかもしれません。

 

これらの理由で、多くの人が医師を介しない代替医療に逃れてしまっているのです。しかし、実際には高額な費用を取られて更に症状を悪化させてしまう例も少なくありません。それで、日本における代替医療の評価は低く、疑いの目で見られていたことは事実です。

 

ところが、指摘したような保健医療の諸問題と健康ブームによる情報提供があいまって、代替医療がこれまでになく見直されてきたのです。私たちは、薬の代替療法としての栄養療法を取り入れていますが、実際には統合医療としての分子整合栄養医学を提言しています。つまり、通常医療の補完ではなく、通常医療をもその枠組みの中に含み、検査や薬物をも用いて全体を再構築しているのです。現代医学のパラダイム・シフト(支配的考え方の変化)を起こす必要があるのです。