2016.08.01
マリヤ・クリニックニュース8月号
巻頭言
夏には故郷を想い出します。群馬県前橋市は、うだるような暑さでしたが、必ず夕立があり、涼しくなります。開けっ放しの店で草履を作っている父の為に、前のどぶ川の水を柄杓(ひしゃく)で撒くと、父も母も涼しくなったと喜んでくれました。軽く撒くだけでは直ぐ乾いてしまうので、地面に浸み込むまで何度も水を撒きます。そのうちに道は舗装され、川は側溝となり、水も撒けなくなりました。
小学生までは何をしていたのか、あまり覚えていません。自転車に乗って遠くまで行っても、お腹がすくと帰ったものです。農家の人が、我が家にキュウリやナスを沢山持ってくるのですが、夕方にはキュウリに味噌を付けて2,3本食べていました。豆腐屋さんも毎日我が家に寄ります。冷や奴に、ゴマみそダレのソーメンを食べている頃に雷がなります。2階の窓から見る稲妻は、真っ暗な夜空を裂くような激しさで、遅れて響く大太鼓のような雷鳴は心臓に響きます。一軒置
いて隣の家は食事を終えて食卓から離れた瞬間に電灯から食卓の真下に雷が落ちました。皆、なんともなかったので、不思議な感慨を持ったものでした。
中一の夏は泳げないのが恥ずかしかったので毎日市民プールに行き、とうとう5000mを2時間くらい掛けて泳ぎきりました。2年からはブラバンの練習が毎日あり、帰ると動けなくなるほど疲れたのを覚えています。高一の夏はペプシでバイトをし、草津白根山の山小屋に100ケース以上を何度も往復して運び上げ、コーラ24瓶一ケースでふらふらしている私を追い越して、四ケースを後ろに抱えて軽々と上る社員に驚きました。高一の夏は友人と大阪の万国博にいきました。奮発して入ったフランス館のレストランで、サービス料と税金で二割も取られ愕然としたことも忘れられません。日本中が変動する一九六〇年代でした。皆、一生懸命新しいことに取り組んでいました。
五〇年が経ち、便利で快適な時代になりました。生きるということが、力を振り絞らなくても簡単で、日々変わる美味しい食事にも慣れ、映画やテレビで楽しむバーチャル・リアリティ(仮想現実)のような時代です。今や、快適さから抜け出して汗水を流すことが流行となり、都会を離れて田舎暮らしを求める人たちが多くなってきました。そして、昔は、一緒でいることが普通で、喧嘩などをしながらも仲良く助け合ってきた家族が、一緒に楽しむためには、どこかへ行ってお金を使わなければならないようになってきました。
この暑い夏、私は汗水たらして草刈りや木の伐採をしています。身体の奥底から力がみなぎり出るような興奮を体験しています。困難に立ち向かい、未来を切り開いていきたいと願っています。暑さの中、ご自愛ください。
事務長 柏崎久雄
毎月1日にニュースを発行しています。
マリヤ・クリニックならではの視点で、健康・医療の情報発信を行っております。
皆様の心と身体の健康にお役立ていただければ幸いです。
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