2017.11.01
マリヤ・クリニックニュース11月号
巻頭言
今月は、発達障害の治療の進展を願って書きました。私が気になることは、日本社会では人を配慮するとか、思い遣るなどの人間関係を重視して、それができない人を攻撃する傾向があります。しかし、発達障害の人は、そういう点が不得意なのです。「言わなければ分からない。」と非難されることがありますが、世界中どこでも言わなければ分からないのは当然なことです。
本文にもあるように、発達障害の人にも同等の権利があり、たとえ注意が十分にできなくても、変な言動があっても、構わない、変えようとしない、という意識を全ての人が共有しなくてはなりません。聖書には、自ら愚かであることを認められる人のみを神は召し出す、という言葉があります。自分は優秀だ、力がある、一人で生きていける、という人々は、神を求めることも、信じることもなく、ただ神や超自然の力を利用できれば良い、と考えています。
人が愛し合うということは、相手の愛を必要とする人間だということを自ら認めてこそ成立するのではないでしょうか。相手を自分の思い通りに変えようとしたり、要求したりすることではありません。自分の為に他人を利用しようとする人は、愛されることは難しいように思われます。
発達障害の人々と接し、交流することによって、多くの学ぶことがありました。自分が傲慢であったり、物事をスムーズに処理しようと急ぐと、彼らを傷つけてしまいます。変えようとすると、彼らはそれができない自らを恥じて苦しみます。できるだけ丁寧に、ゆっくりと、対応すると、驚くべき力を発揮します。中枢神経系に機能不全があるとされますが、その代わりに他の分野で優秀になるようです。
幸せというのは、どんなものかと思います。美味しい物を食べたり、綺麗な景色を見たり、好きなことができたり、というものではないと思います。精神障害、発達障害、身体障害、高齢化、様々な不具合が人生にはありますが、それを甘んじて生きるということは、幸せと言えるでしょう。助けてください、ありがとう、うれしいわ、と言えることは平凡ですが、なんと素晴らしいことでしょう。歳をとって、思い通りの身体ではなくなり、労り配慮しないと痛みやすいものとなってきました。だからこそ、身体を大事にします。弱いところこそ大事なのです。
残念ながら、障害を持った人々は日本社会で心細い思いをし、苦しんで生きています。「悲しんでいる者は幸いである。」とイエス様は言われます。「彼らは(天国で)慰められるであろう。」地上でも、悲しんでいる者を慰める人は、天国のような生き方ができるのではないでしょうか。
事務長 柏崎久雄
毎月1日にニュースを発行しています。
マリヤ・クリニックならではの視点で、健康・医療の情報発信を行っております。
皆様の心と身体の健康にお役立ていただければ幸いです。
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