2017.03.01
マリヤ・クリニックニュース3月号
巻頭言
いよいよ春ですね。入社や入学の準備に忙しいご家族も多いと思います。自宅を次男に譲り、私たちはクリニックの4階に住むようになるので、1カ月程、次男家族と同居しています。2階では嫁と3人の孫の女性たちに囲まれて息子が大きな声で戯れています。その賑やかさを聞きながら、妻と「とてもこの歳では対応できないね!」などと昔を想い出しています。
夫婦で働きながら、5人の子供を育てることは大変でしたが、とても楽しい充実した日々でした。子育てで気を付けたことは、勉強しろとは言わない、成績を評価しない、食事の時にテレビを見ず質問をしない、いろいろな体験をさせる、人の批判をしない、楽しく過ごす、子供に対して甘い親である、などというものでした。子供をあることで褒めると、そうでない時に失望し評価を気にしたり、成績の悪い子を見下げたりするようになる気がしました。優等生になることを望むのは、子供を学校の成績を基準にして評価をするようで嫌いでした。弱者を配慮する人間に育って欲しいと願っていました。
子供にいろいろな体験を積ませるためには無理をしても金を惜しまないようにしました。初めてのスキーは、穴の開いたジャージや普段着でした。夏のキャンプもテントの他にはムシロで屋根を作り、まるで乞食小屋のようでした。海外にもなるべく連れて行きました。私のお金の使い方は細かく説明し、見栄は最も高くつくということを言いました。セルフサービスの店では、サッと水を持ってきて気が利いているので感心されました。親を自分のために用立てることは許しませんでした。49㎡のアパートに7人で暮らし、3段ベッドに寝かせたこともあります。経済的に厳しいので料理は殆ど手作りで、餃子などは120個くらいは作りました。子供たちも大騒ぎをして手伝います。
当時は稲毛パレスの2階にクリニック、3階に教会、5階に我が家があり、インターフォンで通じていました。朝食後、妻が片づけている間に私は子供を保育園に届け、クリニックの事務税務経営その他何でもしながら、料理や買い物もしていました。教会もまだ小さく、精神病者や問題を持った人々の世話で忙しくしていました。我が家は狭く片付いていないので、子供たちも友達を連れてこないという前提を持っていました。家族全員が忙しく、助け合っていました。夫婦だけの旅行ができるようになったのは、末娘が高校に入ってからですから、結婚後25年が経っていました。妻が本当にうれしそうだったので、苦労を掛けたな、と申し訳なく思ったことを覚えています。その頃からは、大学生が3人いたので、しゃにむに働き、経済的にはいつも厳しかったのですが、そのようなそぶりはしないことにしていました。子供にお金も手も掛からなくなり、従業員も増えて、やっと私たち夫婦は、やりたいことが出来るようになってきました。
事務長 柏崎久雄
毎月1日にニュースを発行しています。
マリヤ・クリニックならではの視点で、健康・医療の情報発信を行っております。
皆様の心と身体の健康にお役立ていただければ幸いです。
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