2022.06.01
マリヤ・クリニックニュース6月号
「子供の成長と注意点。父親と母親にとって。」を追加。
巻頭言
6月は父の日がありますが、5月の母の日ほど大事にされず義理で行われているような思惑もあります。家庭における父の役割と尊敬があまり認められていないのかもしれません。
私の父は明治生まれの頑固親父でしたが、9人兄弟の末っ子の私は怒られた思い出がありません。姉や兄が怒られるのを小さい時から見て育ち、怒られそうなことをしなかったからかもしれませんが、姉たちは、父が私を可愛がっていたからだと言います。言い訳や嘘には厳しく、筋が通らないことは自らもしない父でした。二人の姉が子供のいない本家に養子に行き、経済的には兄や姉も高卒後は家にお金を入れていました。厳しい時の姉は夜間高校でしたが、皆が私には貧しい思いは感じさせないようにしていたような気がします。姉たちは、私に小遣いをよくくれました。
職人用の草履を素材から作り販売していましたが、経済的に厳しい時には古鉄も扱っていました。車に乗れない父は、自転車にリヤカーを付けて古鉄を取りに行きますが、重い時には私がリヤカーの後ろに乗り、帰りは後ろで押して来ました。前橋市の中心街に住んでいたので、その姿を友達に見られたら恥ずかしいとびくびくしていました。しかし、汗まみれになって自転車を引っ張る父を見て、恥じる自分こそ恥ずかしいと気が付いたのは小5の時でした。小さい時から本を多く読んでいたので、「小公子」や「フランダースの犬」などを読み、恥じることのない生き方をしたいと考えていたのでした。
学に志した私を支援するのが父の生き甲斐であったようです。良い成績を取っても誉めず、何をしても口出しをせずに、父は黙々と働いていました。両親の信頼と希望を受けていたら悪いことはできるものではありません。高校まではこの両親を幸せにしたいと考えて努力をしていました。しかし、大学に行き、社会を知ると前橋に帰ってできる仕事はないと思い、そのことを伝えても、決して落胆を見せない両親でした。ともかく、立派に社会の為に働いてくれたら、親のことなど考えるなと言われました。
医師になる女性との結婚を伝えたら、本当に喜んでくれました。牧師になると伝えたら、せっかく大学院も出たのだから、歳を取り経験を積んでからのほうが良いのではと、初めて意見を言われました。牧師になることを猛反対された妻の家にも取りなしてくれました。子供も増えて落ち着いた我が家に来た時に孫を膝に抱いた父を見て涙が出て来ました。親には報いられないものです。
事務長 柏崎久雄
毎月1日にニュースを発行しています。
マリヤ・クリニックならではの視点で、健康・医療の情報発信を行っております。
皆様の心と身体の健康にお役立ていただければ幸いです。