2025.05.01
◆マリヤ・クリニックニュース5月号
「宗教に帰依することの大事さ」を追加。
親友が余命7カ月なので牧師を引退し、その記事を頼まれました。阿蘇の噴煙を見ながら育った肥後もっこす(純粋で正義感が強く、一度決めたら梃でも動かないほど頑固一徹、妥協しない男性)です。膵臓がんですが延命治療を断り、覚悟して天国への旅立ちの準備をしています。
「3度ほど死の陰の谷を散歩しましたが、暗くも寂しくもない、感謝と喜びと平安な谷です。主がそばにいてくだされば、どこもいいところです。一生分の痛みと注射と採血と検査を受けました。いつまで生かされるかわかりませんが、生きている間は今後もよろしくお願いします。」と最初にメールが来ました。2月に急性肝炎になった時は、「このままだと劇症肝炎になり、突然亡くなる可能性もあります。今のところ医師は手の打ちようがなく経過観察中です。呼吸困難、心肺停止、食事困難の場合は、いっさい処置しないように医師に伝えました。先生と出会えたことは私の喜びです。」と連絡があり、すぐに見舞いに駆けつけました。元気になって退院していたので、4時間も話しました。神に仕える悔いのない人生を送ってきたので天国に召されるまで献身者として過ごしていくという信念と覚悟を聞きました。
私自身も42歳の時に不整脈で動けなくなりました。痛風で顎がはれ上がり、物が食べられなくなっても、講演に行きました。体調を崩し、長くは生きられないと覚悟したのは十数年前です。「神と共に生きる。」と決心して無理をしなくなり、全てを委ねるようにして、ガーデニングを始め、食事や身体を管理して、すっかり元気になりました。「神の為に生きる。」と働き過ぎていたことが愚かな自己満足であったことに気が付きました。
牧師と言えど、信仰者と言えど、愚かさはありました。しかし、信仰を持って生きてきたことが本当に素晴らしいことだと思っています。心を通わせる友人たちとの交流、夫婦家族の交流、信者たちとの交流、信仰生活でしか達せられないものです。宗教離れが進んでいます。神を信じる人生は、この世の栄達を求めるものとは異なります。胡散臭く思われるかもしれませんが、変だと思ったら止めればよいのです。求めてみませんか。
事務長 柏崎久雄